第2回 「IPという通信業界の非常識」の本質とは?(2006年2月)

90年代半ば、通信業界も新時代へ

 今回は、世界規模でIPによって最初に構造変化を起こした通信業界の話題を取り上げます。それまで、世界各国で国営企業による計画経済型の電話交換設備の整備と保守ビジネスが通信業界の根幹を形成してきました。ストロージャー式、クロスバー式、電子交換式、ディジタル交換式と回線交換機が進化を続ける中で、約百年変わらずにきた仕組みは、1990年代半ば(日本は1997年)のISDN対応の整備終了と共に、まったく新たな交換方式への移行期を迎えました。すなわち、主として世界中の国営キャリアが推進するレイヤ1-2でのATM(非同期転送モード)交換か?それともレイヤ1-2は専用線型とし、レイヤ3のルータによる経路制御を行うIPか?という重要なテクノロジーの選択は1990年代後半の市場に委ねられました。

ポストISDNの本命、衝撃のデビュー

 安田浩博士(現東大教授)とレオナルド・キャリリオーネ博士(伊CSELT)のリーダーシップの下、私も関わった動画像符号化標準MPEGの作業が峠を越えた頃、当時ポストISDNの本命とされたATM交換のキラー・アプリケーションは、VoDだということになりました。この標準化団体DAVICは、MPEG関係者をコアとした世界的活動となり、世界中の国営通信キャリア/国営放送局と関連ベンダー、米CATV業界と関連ベンダー、米コンピュータ業界のマイクロソフト、オラクル、IBM、サン、HPも参加した一大勢力を築きました。タイムワーナーによるフロリダでのフルサービス・ネットワークやベルアドランティック(現ベライゾン)によるADSL-VoDなどが試行されたこともあり、大いに盛り上がり始めたのですが、そこへ突如として現れたのがIPでした。わずか10年前に普及し始めたIPの特徴は、徹底的な「コネクションレス」概念にあります。この徹底した考えは、通信業界に大きな波紋と共に衝撃を与えました。

市場が選択したIPという技術

「電話というキラー・アプリケーションがあるから回線交換網がある」「VoDがあるからATM網がある」という全ての点において、計画経済型の通信業界の常識で、IPの考え方は理解できないものでした。LANを主とする大学や研究機関内のコンピュータ・ネットワーク間を相互接続する技術こそが、キューバ危機以後の完全分散型ネットワークに関わる軍事研究から派生した、「ネットワークのネットワーク」であるIP(インターネット)です。そもそもコンピュータにキラー・アプリケーションなどないわけです。このアプリケーションを限定しないところにIPの特長が活かされたことは歴史的に明らかです。使い方が自由であるからこそ、スイスのCERN(通信キャリアの研究所ではなく、高エネルギー物理学研究所)でWWW、イリノイ大学でブラウザ、スタンフォード大学でヤフーとグーグル、慶応義塾大学でショッピング・モールが生まれました。そして、発想豊かな人々から、新たなビジネスモデルやアプリケーションが続々と登場してくることでしょう。この「コネクションレス」だけでなく、「アプリケーションレス」こそが、「IPという通信業界の非常識」だったのです。かくして20世紀末、市場が選択したテクノロジーは、IPでした。